File No2.女たちよ!野暮な下着は捨てろ!

女たちよ! ガーターベルトで魅せろ!

File No2.女たちよ!野暮な下着は捨てろ!
故伊丹十三氏の第2作目のエッセイ「女たちよ!」は俺に衝撃を与えた。
その中の一節「スタンダールの恋愛論」の中の興味深い文章が俺をインポートランジェリービジネスへと導いた。

「女たちよ!」このタイトルは今から47年前、1968年に文芸春秋新社より刊行された、故伊丹十三氏のエッセイの題名から拝借した、女性への呼びかけの言葉である。
高校生の頃、伊丹十三氏の処女作「ヨーロッパ退屈日記」に出会って以来、
すっかり伊丹氏の虜になってしまい、それまでアメリカ文化に憧れていた俺は、いつしかヨーロッパ文化に興味を持つようになった。
今思い返すと、人生観まで大きく影響を受けたといえるだろう。今こうして、ランジェリー業界に携わっているのだから。
さて、冒頭でも述べた伊丹氏の原文をぜひ、女たちに読んでもらいたい!

「私はあまり腹を立てない性分だが、あれを見た時には腹が立った。怒り心頭に発した。地下鉄の中で、女学生のセーラー服の胸元からピンクのスリップがのぞいていたのを見てしまったのである。ピンクというより、苺色、いや、ひと頃セクシー・ピンクなどと呼ばれていた、暗い濃厚なピンクである。これは、不潔だ!
逆にまた、かなりお洒落で、しかも相当な魅力を秘めているらしい女性が、白いナイロンのレースもろくろくついていないスリップとパンティに木綿のブラジャーなどというのは、これまたなんとも索漠として興の醒めるものである――なんぞというと、もう口を尖らせている人がいるようだが、あなたは本当に素晴らしい下着というものを見たことないのではないかな?
やはり美人もある年になったらお臍が隠れるような白いナイロンのパンティなんかぞろりと履かないようにしてほしいと思う。フランスのルーという会社のレースの三つ揃いなんて見たことあるかね?薄いグレイと薄いピンクのレースでツー・トーンになった、ビキニ型のパンティとブラジャーとガードルとが揃いになったもので、これは正に夢のように美しい。
銀座あたりにも売っているんだよ。もっとも一揃い一万いくらもするが。
でも、役にも立たぬ花嫁修業や、ろくでもない嫁入道具にかける金があるなら、こういうものを買ってほしいと思うのですね、男は。
さて、下着という見地から「スタンダールの恋愛論」という映画を見ようか。なかなか小憎い下着が出てくるのである。
例えば、エルザ・マルティネリが毛糸で編んだワンピースを脱ぎすてると、真珠色の絹のスリップを着ている。あるいはジョアンナ・シムカスがシャネル・スーツを脱ぐ時には、白いレースの付いた可愛いブラジャーをしているという具合いなのだ。ともあれ、下着というのは贅沢なものであってほしい。洗練されたシィクなものであってほしい。可愛く色気のあるものであってほしい。素敵な下着を着た女性というものは、見違えるほど奥ゆかしく由緒ありげに見えるものなのだ、と私は思うのです。」
(伊丹十三(1968).女たちよ!株式会社 新潮社)

どうだろうか?47年前、これほど挑発的でちょっとキザで、でも女性に対する憧れと期待を込めたメッセージがあっただろうか。
偽物を嫌う本物志向は長い年月を経た今でも新鮮で、本質を捉えていると俺は思う。
美しく生きることに積極的で活動的な女性は、とても魅力的で輝いているんだ。
Aubade(オーバドゥ)を愛用する女性は自分の中で何がしたいのか、何が必要なのかを十分わかっている、そんなスタイルを確立した大人の女性だ。
(精神的にも経済的にも自立した洗練された女性だね。)
官能的なランジェリーを身に付けることで自分自身もそれに見合うような女性になりたい、と内面も外面も磨く努力をするようになる。
Aubade(オーバドゥ)を身につけるということは、前から後ろから横から、どこから見ても誘惑を感じさせることができる現代女性の戦闘着なんだ。
今こそ、惰性で着るような野暮な下着は脱ぎ捨てて、自らを奮い立たせるランジェリーを纏おう。

他人の目に触れることのないランジェリーにこだわること、それは君が美しくいられるために本当に大切なことだよ。

関野芳信